フラット革命読みました。(雑記)
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/08/07
- メディア: 単行本
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感じたことを雑記します。
フラット革命は言論界のイノベーションのジレンマか?と感じました。権威と高コストな情報提供インフラ(マスメディア)に支えられた既存言論界と、ネットの出現により、現れた誰もが参加可能な市井による言論界。しかし、低コストで自在に情報を発信できるネットは、メディアとしての影響度も明らかにマスメディアを追い上げようとしています。こうした中で繰り広げられる新旧派の戦いは、商品ではなく、言葉の世界であるだけに、よりいっそう複雑で、社会問題化していると感じました。
また、日本の旧来のコミュニティが崩壊することによる、自身の帰属先のない不安感、こうした思いを埋めるために、ネットを通じて言葉の世界で共通項を持つ、他者とのつながりを求める行為。ふと思ったのは、mixi読み逃げ問題。「読み逃げ」という概念を持つ人は、他者とのつながりをより強く求め、日常会話をしているかのようなレスポンスを閲覧者に求めてしまうのかもしれません。
一方、匿名性が高いことにより発生しやすい一貫性がない言葉の応酬。例えば、公私を区別して行動を帰る傾向が強い日本人にとって、匿名性が発揮できる=公共の場という意識が強いのかな?フラット革命では、日本が中心で記載されていますが、他の国の状況も比較できると面白かったかも。
公共性の問題、マスメディアがある程度担ってきた社会的責任を意識した発言などの公共性が、フラット化によって失われつつあるということ。それを今後保障するのは誰かということ。ひょっとしたら、オープンソース運営組織など、多数の善意を形にすることができる組織体が、より社会性を持って公共性を担っていくのかも。ネットの存在で、多数の発言、意見が存在=言論のコモディティ化?が進む中、具体的なものを作り出すということが相対的に存在感を増すのかな?
世界の認識システム。自身を取り巻く環境を理解し、自分の立ち位置と目指す方向性を定めることが、難しくなってきたということ。ネットという環境そのものが常に変化し、新しい価値観や関係性が発生する中、人によっては常に嵐の海に身を置いているような気分になるのかも知れません。
ネットの世界の特殊性。明示的に発言あるいは表現して初めて他者と交流ができるこの世界は、ただ存在するだけでも他者と相互作用するリアルの世界と比較して、明らかに人を選びます。しかし、情報の入手源としてネットの比率が上がっているため、そこでの言論とリアルの場での人々の反応の差を意識することを忘れがちになります。常に意識すべきことだと感じました。