書評 硫黄島 総指揮官 栗林忠道の話

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

会社の上司に本をお借りして読みました。

あの硫黄島の戦いとそれを指揮した栗林忠道の人物像を、彼が本国に送った書簡、身近な人々・家族の話を元にドキュメンタリータッチで表現しています。本を読んで感じたことは、栗林の合理性が、米軍にとって、伝説ともなった硫黄島の戦いを引き起こした共に、日本兵にとっては最も過酷な戦いを強いたことです。当時、圧倒的な戦力不足を前に、劣勢がきわまると万歳攻撃による玉砕が美徳とされた世情に合って、栗林は、本国への米軍の空襲を一日でも伸ばすために、部下達の玉砕を禁じ、塹壕を利用したゲリラ戦を強います。美徳や、体裁にとらわれずただ一義に、本国の人々を守るために、硫黄島の兵士達に過酷な礎になることを強いた、いや強いかざる終えなかった栗林。しかし彼は、同時に部下に忌憚なく接し、信賞必罰を旨とし、本国へも歯に衣を着せず硫黄島の現状を伝えた、部下から見て人望のある優れた指揮官でした。そして、同時に、戦局が厳しくなっても、実家の台所の様子などを気にする書簡を送る家族思いで日常感を持った人でした。

時代の変わり目に生きる中、私が彼から学ぶべきと感じたことは、常に日常感(=リアル世界の感覚)を持ち続けるということです。ネットという、膨大な情報が存在する空間に接する機会が増える中、常に表現することでのみ存在を知らしめるということは、今までにない非日常的な感覚を感じます。この感覚に慣れることも重要ですが、それにより、リアルな世界での感覚が麻痺してしまうと、生きる力を失うような気がします。